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デンマークの歴史(近世)~宗教革命・絶対王政の時代~

先日から、私の留学先である「デンマーク」の事をもっと知ろう!!という事で、私の調べた「デンマークの歴史」についてUPしていますが、今日はその続きで「近世」について書こうと思います。

昨日の記事でマルグレーテが「女王」となり、カルマル同盟が成立したというお話まで書きましたが、今日はその続き。

カルマル同盟成立後、デンマークはデンマーク王の血統が絶える事なく王政が続いていましたが、クリストファ3世の死去により、これまでのデ血統が絶える事となります。その為、ホルシュタインのオルデンブルク伯がクリスチャン1世としてデンマーク王に即位し、オルデンブルク(オレンボー)朝が創始され、この王朝の元でデンマークは北欧、及びヨーロッパの大国として君臨することとなりました。
クリスチャン4世(在位 1588~1648年)の時代にデンマークは絶頂期を迎えますが、デンマークは、北欧の支配権を強化させようとして、同盟国の離反を招くようになり、同盟国の独立運動や反対派の攻撃が始まります。その後、度重なるスウェーデンとの戦争で財政がひっ迫し、国力が衰えてしまいます。

1533年にはフレゼリク1世死去に伴い、後継者として彼の息子のクリスチャン(のちのクリスチャン3世)と復位を目指すクリスチャン2世の対立が発生し、その後伯爵戦争が勃発ます。最終的にはクリスチャン3世が勝利し、後に宗教改革を実施します。また、この時期にノルウェーを完全にデンマークの支配下に置くことに成功し、デンマーク=ノルウェーが成立します。

クリスチャン3世・グスタフ1世の時代は同盟を結び小康状態であったものの、両王の没後にはデンマークとスウェーデンは互いに「宿敵」と呼び合い、果てしない戦争に突入、戦局は徐々にスウェーデンが有利になっていきます。
北方七年戦争、三十年戦争、トルステンソン戦争と次々と戦争が行われましたが、この複数の戦いの後、どんどんスウェーデンの力が優勢となっていきました。その後、クリスチャン4世の後を継いだフレゼリク3世はスウェーデンとのカール・グスタフ戦争で敗れノルウェーの一部を割譲し、スカンディナヴィア半島南部のスコーネ地方などを奪われ、北欧の強国としての地位を失い、ヨーロッパの中の小国となりました。

カール・グスタフ戦争終結後、デンマーク国内では免税特権に見合う兵役義務に応じなかった貴族階級に対し国民の不満が高まり、1660年に新税導入を巡り特権身分の貴族と非特権身分の聖職者、市民の対立が始まります。

選挙王制から世襲王制への制度変更が議題に上がり、非特権身分は王国参事会に打診、フレゼリク3世と王国参事会の調整により世襲王政への体制移行が決まります。その後、フレゼリク3世が即位時に調印した即位憲章が破棄され、王国参事会も廃止、身分制議会の招集も19世紀まで行われませんでした。

フレゼリク3世は、1660年末に財務省、国務省、官房、陸軍省、海軍省といった官僚制度を整備し、翌1661年に「絶対王政」が始まります。

この時期に王権強化のために中央政府の官僚機構を整備するとともに、アムト制等の新制度や土地改革が行われ、従来無税だった荒廃農地にも推定収穫量を元に領主の責任で課税されるようになります。
王の絶対権力を権威づけ正当化するために1665年に「国王法」が制定され、「国王法」の規定により国王は人事権を掌握し、唯一の軍事力および課税権を保有し、立法府もまた掌握する絶対的な存在として君臨することとなります。

1670年にフレゼリク3世の後を継いだクリスチャン5世は父王の政策を推進し、様々な改革を行います。1674年からスウェーデンからの失地回復を目的としたスコーネ戦争が起きますが、敗戦。この時期に1683年に「デンマーク法」が制定され、地方ごとに異なっていた法典が統一されました。こうして、フレゼリク3世、クリスチャン5世の時代にデンマークの「絶対王政」が確立していきました。

その後、1700年に大北方戦争が起きますが、敗戦。この戦争の敗戦により、スウェーデンからの失地回復の望みは永遠に失われます。大北方戦争に費やした国防費や国王の威信を保つために必要とされコペンハーゲン近郊のフレデンスボーに建設されたフレデンスボー城といった宮廷費、加えて、穀物価格の下落、農村の若年労働者の減少に起因した農業の停滞により財政難に陥っていきます。この頃トップであったフレゼリク4世は、様々な政策にとりかかりますが、その政策の1つとしてグリーンランドを再植民地化しました。

その後、1730年に父王の後を襲ったクリスチャン6世の時代には農繁期に若年の農民が民兵を嫌い逃亡したり、徴兵により十分な労働力を確保できなかったりしたため農業生産が不十分だったことから、「農業危機」が発生します。
対策として民兵制を廃止しましたが、農民は土地から逃亡し、計画は失敗。その後の対策として、1733年「土地緊縛制度」が出され、そのほか、穀物輸出の保護貿易、西インドやアフリカの植民地、清との三角貿易による重商主義政策が採用されました。

1746年に後を継いだフレゼリク5世の時代には「農業危機の克服」と「政府主導の文化政策」が行われ、様々な政策が実行されます。

その後、デンマークはアメリカ独立戦争に対しエカチェリーナ2世が提唱した武装中立同盟に参加し、中立の立場を生かし、貿易・海運業は盛んになりましたが、産業の育成は芳しくありませんでした。

1780年代には、政権を掌握したフレゼリク王太子が、啓蒙主義に触れて改革を支持するドイツ系貴族のA.ベアンストーフ、クリスチャン・レーヴェントロウ、アーンスト・シメルマン等を登用し、改革を行います。

また、デンマークはスカンディナヴィア以外にも多くの植民地を保有しており、ノルウェーの支配を通してフェロー諸島、グリーンランド、アイスランドといった極北の領土を17世紀から20世紀まで保持し続けていました。(by ウィペディア)


と、だいぶ抜粋したつもりなのに、またまた今日も長くなってしまいましたが、、、デンマークの近世の歴史はこんな感じ。

長年の間、王様やリーダー等、「国のトップ」は変われども、色んな「戦争」を続けてきたデンマーク。中世の最初はとても国力の強い国だったので、領土も沢山持っていたのですが、多くの戦争を繰り返すうちにどんどんその領土を奪われていきます。。。

とくにお隣の国である「スウェーデン」「ノルウェー」とは戦いをずっと続けており、永遠のライバルだったよう。日本は島国なので、他の国と戦うという歴史はとても浅いですが、領土が繋がっている国同士に起きる戦争はどうしても避けては通れないものの様です(><)

「絶対王政」や「農業改革」を経て、様々な改革を行っていくデンマークですが、近代に入り、まだ様々な問題が勃発していく様です。

と、今日も長くなってしまったので、、、続きは明日書こうと思います。


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