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デンマークの歴史(近代)~ナポレオン戦争・デンマーク黄金時代~

先日から、私の留学先である「デンマーク」の事をもっと知ろう!!という事で、私の調べた「デンマークの歴史」についてUPしていますが、今日はその続きで「近代」について書こうと思います。

昨日の記事で1780年代までの話を紹介しましたが、今日はその続き。

デンマークの近代史で一番と言っても良い程、大きな歴史的戦争になったのは「ナポレオン戦争」です。イギリスは、1794年にデンマーク、スウェーデン、プロイセン、ロシアが締結した武装中立同盟に脅威を感じ、1801年、イギリス海軍はコペンハーゲンを攻撃します。デンマークは1807年までナポレオン戦争に巻き込まれないよう中立を維持していましたが、1807年にイギリス海軍が再びコペンハーゲンを攻撃し、デンマーク海軍がフランスを支援することができないようにデンマークの艦船を拿捕したことから、デンマークはイギリスとGunboat Warに突入します(1807年~1814年)。

1809年、デンマークはFerdinand von Schillが指揮する反ナポレオンのドイツ人反乱軍をシュトラールズントで打ち負かすためにフランス側に立ち参戦しましたが、ナポレオン戦争の参加により1813年にデンマークの国家財政は破綻。1813年の第六次対仏大同盟でデンマークは孤立、フレゼリク6世は和平を余儀なくされてしまいます。

その後締結したキール条約により、ヘルゴラント島はイギリスに割譲し、ノルウェー王位はスウェーデン王に継承、デンマークはスウェーデン領ポメラニアを代償として領有することとなりますが、ノルウェーはキール条約に反発。クリスチャンはノルウェーの自治を守るためにノルウェー王位を放棄し、スウェーデンの連合王国設立を認めざるを得なくなります。
また、ナポレオン戦争の結果、物価は上昇し、紙幣の乱発が相次いだので、紙幣整理のために新たに中央銀行であるデンマーク国立銀行が1818年に設置されます。その後も経済の混乱は続き、1820年代は経済危機に陥っていきました。

デンマークの敗戦と経済的混乱の一方で、文化的にはこの時代にデンマーク黄金時代が開花していきます。1802年ドイツからデンマークに帰国したノルウェー生まれの自然科学者ヘンリク・ステフェンスがロマン主義の風潮をデンマークに持ち込んだのが端緒で、文学、絵画、彫刻、哲学といったあらゆる分野で隆盛を極めていきます。ニコライ・グルントヴィはデンマーク国教会を活気づけ、デンマークの教会で使われる讃美歌を多く作曲したほか、1834年には農村の青年男女のために期間5カ月の寄宿制学校であるフォルケホイスコーレ(Folkehøjskole)を設立。文学ではハンス・クリスチャン・アンデルセンの童話がデンマーク以外にも受け入れられ、セーレン・キェルケゴールは実存主義の先駆者となり哲学史に影響を与えました。彫刻ではバーテル・トーヴァルセンの作風が他の芸術家に影響を与えています。

1830年代に、デンマーク国内では国民自由主義の動きが力を増し、デンマークは1849年6月5日、立憲君主国となります。勃興するブルジョワジー層は政府における要求を強めたものの、流血による革命を避けようと考えていた為、フレゼリク7世は市民の要求に応じました。制定された憲法では権力分立が記載され、成年男子による参政権が認められ、同様に報道の自由、信仰の自由、結社の自由が認められる様に成りました。

またこの時期に南ユラン問題(シュレースヴィヒ=ホルシュタイン問題)が勃発。1845年にデンマークはイギリスにインドのトランケバールを売却したことにより、シュレースヴィヒ及びホルシュタインの両公国と呼ばれる土地を保有していましたが、ここはドイツ連邦を構成する領邦であり、君主をデンマーク国王とする部分連合にすぎませんでした。
そこで、この領土をデンマークとドイツでどちらが保有するのかという議論が勃発。その後、独立戦争(1848年~1851年)や第2次シュレースヴィヒ戦争(1864年2月から10月)が起こり、この戦争の後、デンマークはプロイセンとオーストリアに屈服し、両公国を放棄せざるを得なくなりました。

第二次シュレースヴィヒ戦争の敗北によりデンマークは国家として深刻なトラウマを抱え込んだデンマーク。7世紀中葉のスカンジナヴィア半島対岸の喪失と同様に、両公国の肥沃な土地を失ったデンマークには、島嶼部と荒涼としたユラン半島北部が残され、軍人のエンリコ・ダルガスは1868年にデンマーク・ヒース協会を設立しヒースに覆われたユラン半島北部に植林を開始し、開拓に乗り出しました。

1870年代にはアメリカ合衆国の安価な穀物の流入に打撃を受けたましたが、イギリスの酪農製品の需要の高まりに応じ産業構造を転換。加えてこの頃から農村部から都市部へ移動する人々が増加しましたが、都市部でそれを吸収することはできず、多くの人々はアメリカ合衆国に渡っていったいきました。また、19世紀後半からの第二次産業革命が起こり、1850年代にはデンマーク初の鉄道が敷設されることで、輸送手段や海外との交易の改善が図られるようになりました。

1873年にはスウェーデンとデンマークは通貨同盟を締結し、ノルウェーも2年後の1875年にデンマーク、スウェーデンと同様のレベルで金と通貨が連動することとなりましたが、第一次世界大戦の勃発とともに、スカンディナヴィア通貨同盟は終了。1914年8月2日にスウェーデンは金本位制から離脱し変動相場制に移行しました。(by ウィキペディア)



「ナポレオン戦争」から始まった暗黒の時代のデンマークの近代。戦争に負けて、どんどん領土を奪われて行きますが、それと同時に文化的には「黄金時代」と呼ばれる程、色々な財産を残していく時代です。


デンマークは歴史的に色々な戦争に「敗戦」していますが、その「敗戦」こそが、今のデンマークを築き上げている大きな財産となっています。この後も、世界大戦と戦争はまだまだ続く歴史を持っているのですが、、、その話はまた明日書いて行こうと思います。
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