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北欧家具の鬼才「ポール・ケアホルム(Poul Kjærholm)」

今日も昨日に引き続き、デンマーク出身の建築家や家具、プロダクトデザイナーをご紹介していきたいと思いますが、今日ご紹介するのは北欧家具の鬼才「ポール・ケアホルム(Poul Kjærholm)」

「ポール・ケアホルム(Poul Kjærholm)」はインターナショナルスタイルの影響を受けた、シャープで直線的な作品で知られるデンマークの家具デザイナーです。
ポール・ケアホルム
↑Poul Kjærholm

デンマークのオスターヴゥローに生まれ、当初は画家を目指していましたが、祖父の勧めにより同じヤーイングに住む家具職人グロンベックの下に弟子入り。

1948年に修行を終え、1950年から1952年にかけてハンス・J・ウェグナーの事務所に勤務していました。同時期にコペンハーゲン工芸学校の夜間コースへ通い家具デザインを学んでいます。

1952年、コペンハーゲン工芸学校を卒業し、フリッツ・ハンセン社に入社し、1953年まで勤務。1952年から1956年にかけて、 コペンハーゲン工芸学校夜間コースの講師を務めました。プライベートでは1953年、同郷の建築家ハンナ・ダムと結婚。1955年、コペンハーゲン王立美術アカデミーで教鞭を執ます。その間もエリック・ヘアロウ、パレ・スユエンソンの事務所に勤務し実務と教育の両立を図っていました。

ハンス・J・ウェグナーの事務所に勤務していた時に知己を得たコル・クリステンセン社の創業者E・コル・クリステンセンと家具の製造・販売において共働し、1955年に『PK-22』を発売します。『PK-22』は金属製の脚部分の上に皮・藤の座面が載った椅子で、ミース・ファン・デル・ローエのバルセロナチェアからの強い影響が伺える椅子です。
PK-22.jpg
↑彼の代表作「PK-22」

1956年、E・コル・クリステンセンの紹介でラングステッドに自邸建設のための土地を取得。自邸は妻のハンナ設計によるもので、ケアホルムは自邸のための家具のデザインを始めました。こうして製作されたのが『PK-38』『PK-54』『PK-9』『Pk-1』など10種類の家具。
ポール・ケアホルム2
↑彼の代表作「PK-24」

1960年には第12回ミラノトリエンナーレにおいてデンマークパビリオンの展示デザインを担当し、1976年から1980年にかけて、コペンハーゲン王立美術アカデミー学長に就任していました。1980年に肺がんにより、51歳という若さで死去しました。(by ウィキペディア)


彼は「木製家具」が主流だった時代に、当時一般的ではなかった「ステンレス」等の「金属」や「レザー」「籐」等を巧みに組み合わせ、ミニマリスティックを志向した家具を次々と開発しました。

ケアホルムは当時既に巨匠と呼ばれていた「ミース・ファン・デル・ローエ」をリスペクトしていた為、ケアホルムの作った作品の表現の明快さや完璧な構成、ディティール等はミースの作品にどことなく、共通する部分が多くあります。

残念ながら51歳という若さで亡くなりますが、生涯精力的に家具を作り続け、多くの名作を残した彼。新素材を家具製作に取り入れる貪欲な挑戦を続け、革新性と多様性をもたらした彼のデザインは現在でも、世界中で愛されています。

ミース・ファン・デル・ローエは私も大好きですが、ミースの作風が少し垣間見ることの出来るケアホルムのデザインしたプロダクトは、なんだか少しこの時代のデンマーク家具とは違うスパイスの効いた感じがします。

この時代に「新しい素材をつかうことに挑戦する」という事は、中々難しい事だったと思いますが、ずっと貪欲に挑戦し続けたポール・ケアホルム。

彼の挑戦があったからこそ、現代に残る名作や技法があるし、「新しい事に挑戦する」という事の大切さを彼の生き方から、学んだ気がしました。

*参考**
ウィキペディア:ポール・ケアホルム

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